(やなぎ)やらの話

 むかしのお(はなし)です。  
 高岩(たかいわ)野中(のなか)あたりは、大きな(ぬま)と古い(やなぎ)の木が()(しげ)り、(ひる)でも(くら)いさびしいところでした。(よる)になりますとたぬきやきつねが(あつ)まってきて、たぬきはとくいの(はら)つづみを()ち、きつねは人間(にんげん)()けておどり、たいへんにぎわったそうです。でも村の人たちは気味(きみ)わるがって(ちか)よりませんでした。  
 そんなとき、孫兵衛(まごべえ)さんという人がそのことを()り「これはゆかい、いっしょにおどるべえ」と、毎晩(まいばん)でかけていってはおどっておったそうです。たぬきやきつねともすっかりなじみになったらしく、(よる)になると「まごべがくるからさっさとおどれ」と、大きな(こえ)()こえるようになりました。  
 ところが孫兵衛さん病気(びょうき)()にましておどれなくなりました。
 それでも夜になると「まごべがくるからさっさとおどれ」と大きな声が聞こえてきたそうです。  
 ますます村の人たちは、こわくなってけっして近よらなくなったそうです。  
 柳の木がたくさんあったことから「柳原(やなぎはら)」といっていましたが、いつかそれが少しなまりまして「柳やら」と呼ばれるようになったそうです。
 柳やらは、こんな伝説(でんせつ)のある場所(ばしょ)でした。
(「白岡の民話」より)

豆知識
 
高岩(たかいわ)野中(のなか)という地域は、昔、人家(じんか)が少なく一面の畑だったので、「野中」と()ばれたようです。
 この
付近(ふきん)は江戸時代に新田開発されたところなので、今でも「新田耕地(しんでんこうち)」と呼ぶ人もいるそうです。